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2015 シドニー大会 総括

 国際啄木学会事務局長 若林 敦 


 それでは、翻訳、日記、モダニズム、思想とおおきく4つに分けて、今日の内容をまとめたいと思います。
 まず、翻訳。これについては2つのミニ講演、1つの研究発表がありました。それらを通じて最も印象に残ったのは、近年の新しい翻訳には共通する方法論が見られるのではないかということです。ジョージ氏のマラヤーラム語訳、林氏の中国語訳、そしてパルバース氏の英訳と、啄木短歌の新しい翻訳が、近年、相次いで出されました。その翻訳のしかたの共通点、それは、自言語の詩の形式にとらわれない、そういうことで意味の曖昧な翻訳をするよりは、一首の明確な意味を伝えることを第一に考えている点にあると思われます。
 短歌の翻訳が読者に詩として鑑賞されるように、自言語の伝統的な詩型を援用する、このことの困難はジョージ氏、林氏が共通に指摘したところです。ジョージ氏は講演で、マラヤーラム語の詩形式に合わせた翻訳はたったの一首しかできなかったと述べました。また、林氏は、従来の中国語訳が試みたように五句三十一音の短歌形式に似せるのでもなく、中国の伝統詩型からもいったん離れ、「散文式」に啄木短歌を翻訳したと述べました。それは、詩の形式の尊重が詩の内容の伝達に無理を生じさせるという認識によるものです。
 パルバース氏が啄木短歌の翻訳にあたって「すべての短歌を簡潔で明晰な文にして、それにタイトルを付ける」という方法をとったことを結城氏が紹介しました。これはつまり、短歌一首の意味・内容を明確に伝えるためです。そのうえで、表現が詩的になるような工夫をする、読者に詩として鑑賞してもらえるような表現にしていく。パルバース氏はそのために、例えば英語の擬音語、または擬音語を語源とする語をあちこちで使っています。林氏の発表でも、「散文式」の翻訳を詩的表現にするための技法が具体的に述べられました。
 このように、啄木短歌の翻訳にあたって、まず伝えるべき意味を明確にすることが、詩形式の束縛を離れることに反比例して、強く意識されている、近年の翻訳にはこのような共通する特徴が見られるようです。
 このことは、翻訳者の解釈がこれまでとは違った訳を生み、それによって私たち日本語による読者が一首の意味を新たに発見するということにも繋がります。結城氏は「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」の四首の英訳を示し、「妻と親しむ」という句の含意の訳され方を比較して、パルバース訳のタイトルの「INTIMACY」(男女の仲の親密さ)と「To cherish her」(大切に思う)という「翻訳を読んで日本の短歌がわかった」と述べました。このように、翻訳者による一首の翻訳が、日本語の読者をその歌の魅力の新たな発見、一首の新たな鑑賞に導いてくれることがあります。翻訳された言語での鑑賞がなかなか難しい日本語の読者には、今回のように翻訳者自らが自身の翻訳について語ることが、そのような発見・鑑賞に通じる機会として、とても大事であるということも、大会参加者が共通に感じたことではないかと思います。
 もう一つ、翻訳について議論されたことは、翻訳者が直面する困難ということです。ジョージ氏は、幸いにも啄木短歌がマラヤーラム詩の三行書きに合致していたことから、詩形式の問題以上に、むしろ、伝えるべき意味・内容を明確にしていく上で直面した困難について、多くを述べました。問題は大きく二つあって、一つは、ある言語システムを他の言語システムに置き換えることに伴う困難です。ジョージ氏が「東海の」の歌の「蟹」は単数か複数かと悩んだという数、あるいは性など、日本語では表示する必要のない属性の表示が求められる言語があるわけです。また、音韻システムの違いから、五句三十一音の詩型がそのまま他の言語に移せないということも、ここに含めていいでしょう。
 もう一つは、固有の社会、文化、歴史、自然をどのように伝えるかという困難です。「とある日に酒を飲みたくてならぬごとく」の「酒」をケーララ州の伝統的なアルコール飲料である「チャーラーヤム」に置き換えて訳すと読者は勘違いする。「チャーラーヤム」はアルコール成分が高く、黒砂糖や果物などから作る甘味のある飲み物なので、日本の「酒」とはまったく違ったものを飲むことになると、ジョージ氏は例をあげました。だからここは「酒」として注を付けるという方法を用いた(foreignization)ということでした。一方、林氏が挙げたのは「しんとして幅広き街の秋の夜の」にわざと「札幌」という地名をそのまま付け加えて訳した例です。近年、北海道を訪れる台湾人観光客は増加しており、涼しい秋の夜にほおばる焼きトウモロコシのあまさ、うまさは決して忘れられないものだろうとして、「札幌」という地名がそのまま作品の背景を台湾の読者に伝えると述べました。また、パルバース氏は「ある朝のかなしき夢のさめぎわに」の歌に出てくる「味噌」を「miso」と訳したことについて、こう書いています。「みそは今、多くの国で食べられているので、その言葉はそのままにしました。以前、みそはbean paste と訳されていました。この一行をbean paste を煮るかおりと訳さなければならなかったとしたら、困ったことでしょう。英語ではあまり魅力的に聞こえませんから。」
 このことは、あらためて、文学作品の鑑賞が事物の経験に支えられていることを認識させてくれます。現実世界での人やものの交流、文化の交流が盛んになることが、文学作品をよりよく理解することに繋がるということからすれば、本日参加されている国際交流基金日本文化センター(シドニー)の遠藤所長のお仕事に、私たちはあらためて感謝をしなければならないなと思いました。
 では、次に日記についてです。 2つの研究発表が行われ、どちらも啄木日記の文学性にアプローチするものでした。まず、啄木日記の明治四十一年一月には、一日から十二日までの記事が二種類あります。この二種類の記事の関係をめぐって、これまで議論が重ねられてきました。今回、村松氏は、啄木日記原本コピーの調査結果を示し、『明治四十一年戊申日誌』ははじめから下書き、ないしメモとして書かれたものであると断定しました。そのうえで、記述量の多い一月二日、三日の記事を、いわば清書にあたる『明治四十一年日誌』の同日付記事と詳細に比較・分析し、より文学的な記述に書き直されていると主張しました。例えば、聴覚的・触覚的表現の付加による場面の再現、より効果的な擬態語の使用による人物の描出、簡潔さやわかりやすさを旨とした文章の改変、 後の記述への伏線さえ見出されるようになった内容の加除と再構成、それとともに浮かび上がる記述の主題性。これらをふまえ、『明治四十一年日誌』は「極めて読者を意識した創作性を有する他者に開かれた文学的テクストとして整備されたもの」であると結論づけました。
 次に、クレアモント氏は、オーストラリア先住民の言語の多様性と国家の言語政策を参照し、近代日本の言文一致運動と日本語表記法への提言や試行を背景として紹介しながら、『ローマ字日記』を取り上げました。その中で、ローマ字という表記法が、他者に内容が容易に読みとれないようにするためだけでなく、書き手自身にも内容を隠してしまうところがあるのではないかということが指摘されました。クレアモント氏はそのことを「客観的表現」という言葉で述べていましたが、確かに、漢字仮名交じり文という表意文字を含んだ表記法に慣れた目からは、表音文字のみでしかもアルファベットを用いるというローマ字表記は、表意性から二重に隔てられたものになります。一見しただけでは、書いた自分にもその内容が見えない。クレアモント氏の発表では、そのことが、自己の行為を赤裸々に描写し、また自己の心情を隠さずに吐露するという『ローマ字日記』の過激な記述を可能にしたのかもしれないことが示唆されました。これは、いわば恥ずかしいことを恥ずかしくなく書くことができる表記法とも言えるわけで、このことがどれくらい一般化できるのかわかりませんが、今後さらに考察されていい論点と思われます。
 啄木日記が文学作品のように読めるということについては、すでに多くの言及があります。しかし、例えば『明治四十一年日誌』と『ローマ字日記』とでは、その達成している文学性の質は大きく違っている。ですから、文学作品として書かれたとか、文学性を持つようになったという言い方にとどまっていてはいけない。『ローマ字日記』についてはこれまでの積み重ねがありますが、『明治四十一年日誌』についても、その文学性の内実がさらに言語化されなければならないのではないかと考えます。
 次は、モダニズムについて、ミニ講演が1つありました。モートン氏は石川啄木とオーストラリアの詩人ケネス・スレッサーとを作品論、作家論それぞれにおいて比較し、モダニズム詩、またモダニズム詩人としての特徴を指摘しました。作品論では「心の姿の研究」を啄木の最初のモダニズム詩として、その中の「起きるな」に描かれる居眠りをする若い男に示されたアイロニックな自画像がモダニズムの典型的な一例であるとしました。また、歌を遊戯とするとらえ方や「命なき砂のかなしさよ」などの歌に見られる生と死というテーマもモダニズム文学の特徴であると述べました。例えば、スレッサーの典型的なモダニズム詩「The Night-Ride」は死への旅の比喩であり、シドニーと田舎を行き来する夜汽車の旅は生と死の間を表す、このように日常の平凡な経験の中にも宿命を見て取るという特徴がモダニズム文学にはあるとしました。作家論では、啄木とスレッサーにはモダニズムを否定しながら、心では強く惹かれている点が共通して見られると述べました。
 啄木短歌については、日本にモダニズムが移入された昭和初期に前川佐美雄という歌人が出した『植物祭』というモダニズムの代表歌集の歌と啄木短歌との接点が指摘されてきました。確かに啄木短歌には内容面でも、表現面でもモダニズムに通じるところがあります。モートン氏はそのことを啄木詩にまで広げ、また詩人としてのあり方にも見て取ります。なるほど、啄木が表現しようとした心の深層や無意識的なものに目を向けてみれば、仮に啄木がモダニズムの時代に生きたならば、そこから大きな影響を受けたのではないかと思わせるところがあります。
 啄木短歌にはこのように、自己の内面を深く掘り下げ、それが無意識的な部分にまで到っているところがある一方で、よく知られているように、人が日々の生活や長い人生の中で経験する様々な感情を率直に歌っているという面があります。ジョージ氏はミニ講演の中で、自らの経験を啄木短歌に重ねて物語ることで、それらの感情が民族を超えて普遍的なものであることを示しました。例えば、次の三つの歌は、田舎から都会に出て懸命に生活しようと苦闘を続け、やがて時を経て自己を振り返るというストーリーに重ねられました。私はこの物語に感動しました。

 はたらけどはたらけどなおわが暮らし楽にならざりじっと手を見る
 死にたくてならぬ時ありはばかりに人目を避けて怖き顔する
 いくたびか死なんとしては死なざりしわが来し方のさびしく悲し

 内容・方法の上でモダニズムに通じる歌もあり、また平易な表現で誰もが共感できる人生的な歌もあるという啄木短歌の幅広さ、さらに先に翻訳例として挙げられた歌も含めれば、まさに啄木短歌の持つ多面性を、この大会がオーストラリアの地で、期せずして示すことができたように思います。
 最後に、啄木の思想について。パルバース氏の基調講演と山泉氏の講演にふれます。パルバース氏は宮沢賢治と啄木を比較し、人生に何が大切かという問いへの答えが違うと述べました。そして、二人を今いくよ・くるよの漫才コンビにたとえて、賢治は「あの世」、啄木は「この世」であると会場を沸かせましたが、私はこの二人をコンビとしてとらえる発想が面白いと思いました。啄木は心の解剖学者、賢治は心の分子生物学者というたとえも出てきました。啄木のそのような心の内側に入っていく面と、賢治が心を豊かなイメージに換えて外に解放する面とをともに見ることで、何か人間をトータルにとらえる視座が与えられるのではないかと思わされたのです。
 また、パルバース氏は2011年10月11日に、東日本大震災の被害の跡がまだ生々しく残っている陸前高田を訪問したときのビデオを映し、「3.11」後の文学のあり方、文学研究のあり方を問いかけました。文学は現実に対していかなる力を持っているのか、これは古くて新しい、これまで何度も問い直され続けてきた問いかけです。
 啄木と啄木研究について考えてみます。山泉氏の講演のテーマであった「大逆事件」は啄木の思想形成に大きな影響を与えました。山泉氏の講演は大逆事件研究の側から、国内における事件の伝えられ方と、それらの情報の中で啄木が到達した地点を照射したものです。「大逆事件」は思想弾圧を目的とした冤罪事件でした。山泉氏は、啄木がその「事件」の本質と支配者の意図を見抜いた。さらに、「天皇」という存在に深く関わる「事件」の国民への影響を考え、権力のフィクション性に気づいた。また、「事件」を国際的視点から考えたと三点を指摘しました。講演の中で山泉氏がスライドで映したオーストラリアの新聞記事の見出し「Plot in Japan-To Assassinate the Emperor」にあった「Emperor」の文字は、今日見てもドキリとさせられるものがあります。まして、天皇に関わる事件であることが伏せられていた当時、この文字を目にした衝撃がどれほどのものであったか、容易に想像できます。
 啄木は、幸徳秋水らが死刑になった後、土岐哀果と『樹木と果実』という雑誌の刊行を計画します。表向きは歌の雑誌ですが、その実際は、今の日本、そして将来の日本について考えることのできる青年を一人でも二人でも育てておくことを目的とした雑誌でした。しかし、啄木の病気と印刷所の倒産によって、雑誌刊行は実現しませんでした。
 パルバース氏は「雨ニモ負ケズ」の詩が示すように、賢治は現場に行って、そして行う人であった。これに対し、啄木は行動にまで到らない、どちらかというと「室内派」であったと述べました。結果から見れば、それは確かに事実です。しかし、私は啄木がこの『樹木と果実』を刊行しようとしたことに、大事な意味を見ます。それは、啄木が歴史を信じたということです。将来の世代、未来に生きる若者を信じ、自らの志を彼らが受け継いでくれ、あるべき社会を実現してくれると信じた。だからこそ、そのために、今自分ができるだけのことをする、それが『樹木と果実』刊行計画でした。啄木は「明日」を信じ、行動しようとしたのです。その姿を私は大切なものに思っています。
 「3.11」後の文学研究のあり方の一つは、啄木に限らず、文学の中からこのように現実へのメッセージを明確に引き出し、それを人々に示していくことにあるのではないかと私は考えます。
 研究発表の後の詩歌朗読交流会はたいへんよかったです。詩はやはり音の響きを聴いてわかるところがありますね。朗読に立った啄木学会の三人の会員とシドニー大学の三人の学生の皆さんの感情のこもった美しい朗読が耳に残っています。
 以上を大会のまとめといたします。どうもありがとうございました。

 
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